- 1 :帰って来た仕事コナカッタ元声優 φ ★:2012/12/20(木) 01:44:07.14 ID:???
<旧隠岐高の実習船岩瀧さん、原さん 韓国人滞在情報を確認>
日本の領土にもかかわらず、韓国に実効支配され、今では近づくことさえできない竹島。まだ往来が可能だった約60年前、「竹島に韓国人がいるらしい」という情報を確かめるため、県立隠岐高水産科(現・隠岐水産高)の実習船で調査に向かった人たちがいた。遠い記憶を関係者たちに聞いた。(佐藤祐理)
実習船「鵬(おおとり)丸」(約50トン)が隠岐を出発したのは1953年6月24日。51年9月に、竹島が日本領であることを認める「サンフランシスコ平和条約」に日米などが調印したのに対し、韓国は52年1月、李承晩ラインを宣言して竹島を自国領と主張。日本海に不穏な空気が漂い始めていた。
調査は、竹島に韓国人が滞在していると聞きつけた当時の市川忠雄校長が指示した。「竹島は日本の領土で五箇村(現隠岐の島町)に属する。我々が確かめる必要がある」という趣旨の指示だった。
同校教諭だった岩瀧克己さん(88)と、機関長の資格があった原和平さん(94)ら6人が乗船。原さんは民間人だったが、朝鮮半島で暮らした経験があり、通訳も兼ねて声がかかった。船は途中でしけに遭ったため、25日昼頃、竹島に到着。錨(いかり)を下ろすと、島から韓国人男性2人が小舟で近付いてきた。漁師のようだった。開口一番、「腹が減ったから飯が食べたい」「たばこも欲しい」と訴えたという。船内にあった昼食の残りを食べさせ、米やたばこを与えた。
2人は「ここでメノハ(ワカメ)を刈って、連れが鬱陵島に持って行ったまま帰ってこない」と説明。迎えを待つ間に食糧が尽き、何日も食べていないようだった。岩瀧さんが船で番をしている間に原さんが小舟で竹島に上陸。見渡す限り、切り立った岩ばかりで、建物を建てられる場所はなく、わき水も見あたらなかった。韓国人2人は、
竹島を構成する島と島の間にある4、5メートル四方の砂浜にシートを張って生活し、浅瀬のワカメやアワビの漁をしているようだったという。
韓国人は食事などのお礼に、原さんらに「ニホンアシカを捕まえてごちそうする」と言ったが、目の前で生き物を殺されるのが嫌で遠慮した。約3時間滞在した後、島を後にした。
隠岐の島町に戻り、竹島に韓国人がいたことを報告したが、国は特に対応を取らなかったという。そして、翌年54年、韓国は竹島に海洋警察隊を派遣。実効支配を強めていった。
あれから約60年。アシカ猟などが盛んだった竹島だが、渡航経験者は大半が鬼籍に入り、今では隠岐の島町民では原さんと岩瀧さんだけになった。隠岐水産高では今年11月、授業で岩瀧さんが書いた手記を使い、生徒が竹島について学んだ。
韓国大統領の上陸を機に、竹島問題が注目されていることに対し、原さんは「あの時になんだい(=何も)構わずにおって、今更何を騒いでおるのか」と話し、岩瀧さんも、「日本の領土であることは間違いない歴史的事実」と、冷静に見ている。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/shimane/news/20121218-OYT8T01475.htm
<元スレ>http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1355935447/
<ブログ主コメ>戦争が終わって、国際社会が竹島は日本領土と認めたのに、韓国が軍隊を使って占領し、日本人を殺害、拘束したのが韓国です。要するに日本に戦争を仕掛けてきたということ。マスコミはしっかりと報道して欲しいですね。
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